日本酒「風の森」で全国的に知られる奈良の油長酒造が、大和蒸溜所として手がけるジン「橘花 KIKKA GIN」。今回、蒸溜所まで取材に赴き、蒸溜所長である板床(いたとこ)直輝さんに話を伺ってきました。 Part.1では、KIKKA GINの誕生ストーリーなどをお送りします!
なぜ、どのようにKIKKA GINは誕生したのか?
油長酒造の社長と板床さんはある日、同じ奈良にある全国的に有名なバー「THE SAILING BAR」にて、チーフバーテンダーの渡邉匠さんにジンを教わりながら、様々な銘柄を味わったといいます。個性的なジンの数々に二人は、ふと「(奈良における歴史的にも重要な薬草である)大和当帰(ヤマトトウキ)も使えるのでは?」とジンに可能性を感じるように。渡邉さんに相談すると、世界各地で新たなジンが続々と誕生していることに触れながら、「油長酒造さんが奈良のクラフトジンをやらなくて、誰がやるんですか?」と言われ、胸が熱くなったそう。しかも偶然にも、油長酒造はスピリッツの製造免許を持っていた。そうして二人は「やるしかない!」とジンを手がける決意を固めました。
実際にジンのプロジェクトが動き出したのは、2017年1〜2月ごろ。 当初はオーソドックスなジンをベースに、大和当帰など奈良のボタニカルを活かしたジンを考えていたそう。しかし、奈良ゆかりの柑橘・大和橘との出会いで、その考えが変わることに。「とにかく香りが良かったんです。それでこの香りを全面的に活かそう、ということになりました」と板床さん。そうしてジュニパーと大和当帰、大和橘の3種だけをボタニカルとして使用する構想が練り上がっていきました。
古都・奈良の歴史を支えた大和当帰と大和橘
このジンの軸となる大和当帰と大和橘は、実は、古都・奈良の歴史的にも重要な素材。 大和当帰は、江戸時代ごろに薬の材料として栽培が始まったとされています。当帰の英名はアンジェリカ。ジンのボタニカルとしてとてもポピュラーな素材ですが、この大和当帰は、生薬として使用が制限されていました。しかし近年、葉の部分のみ制限が解除され、自由に使えるように。 一方、大和橘の歴史はもっと古く、2000年もの歴史を有する日本最古の柑橘とされています。日本書紀や万葉集にも登場する素材でしたが、現代では絶滅危惧種に。それが近年、再生プロジェクトが立ち上がり、今では実が十分に収穫できるようになりました。
生薬発祥の地で誕生した“薬”がルーツのジン
さらに歴史を辿れば、奈良は日本における生薬発祥の地とされているのだとか。「生薬は言い方を変えたらボタニカル、(歴史的に見ても)奈良でジンを造る意味は大いにあると思っています」と板床さんは言います。 2018年9月にプロトタイプの「KIKKA GIN バッチ001」が誕生することになるのですが、大和蒸溜所では、板床さんが一人で全ての工程を手がけています。しかも同氏は蒸溜に関しては未経験。Part.2では、なぜ板床さんがジンを手がけることになったのか、そしてKIKKA GINの今後についてをお送りします。
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